サウナの平均的な温度は約80~90℃です。熱くて有名な施設でも約100℃でしょうか。
しかし、このから風呂の最高温度はなんと160℃・・・!
そんな「から風呂」とはどのようなサウナなのか、どんな魅力があるのか紹介していきたいと思います。
日本のお風呂とサウナの歴史
古代~奈良時代にかけて
日本には古くから温泉が存在し、温泉地には温泉を利用した蒸し風呂があり、これが日本のサウナのルーツとされています。
この蒸し風呂は洞窟などを利用したものであったそうです。
そこから次第に人の手が加わり、蒸し風呂が作られるようになりました。
平安~室町時代
平安時代には「御湯舎」や「湯屋」が登場してきます。
湯という文字がありますが、現在の銭湯のようなものではなく蒸気を利用した蒸し風呂であると推察されています。
また蒸し風呂に対し「湯浴(ゆあみ)」も登場し、お湯を汲んで浴びる行為は禊(みそぎ)として捉えられ体を清潔にする行為ではなかったようです。
その後、徐々にお湯に浸かる「湯風呂」が登場し、庶民にも広まっていきました。
安土桃山時代~江戸時代
この辺りから蒸し風呂から湯風呂へ移行していきます。豊臣秀吉によって有馬温泉(兵庫県)が再興したのは有名な話ですね。
江戸後期からは鉄砲風呂や五右衛門風呂が登場し、湯に浸かるのが当たり前になります。
明治時代~現代
この頃には現在の銭湯のような施設が登場します。
そして蒸し風呂は縁遠い存在となりますが、1964年の東京オリンピックを契機にフィンランド式のサウナが普及します。
1980年~90年代にかけて、スーパー銭湯やスパリゾート人気が全国に広まり一大ブームとなります。そして現在では更に多種多様なサウナが登場し、サウナ人気を高めていきました。
古代サウナから風呂
から風呂とは?
今から約1300年前の奈良時代に、高僧行基が庶民の病を治すために作ったとされています。風呂の構造は、幅1.2m、奥行2.7mの豊島石(てしまいし)の石室で、石の間は粘土で固められています。
そして「讃岐国名勝図絵」に塚原温室と書かれ、病に効あり、人多く入室するとあり、武士をはじめ多くの利用者で賑わっていたことが文献等で分かっています。
高僧行基ってどんな人?
行基(ぎょうき、668年ー749年)は、奈良時代の日本の僧侶であり、特に社会事業や公共事業に尽力したことで知られています。
行基は僧侶として、都市部だけでなく農村や山間部まで広く活動しており、庶民からの多くの支持を受けていました。
最大の功績の一つとして、東大寺の大仏建立があります。聖武天皇の発願によるこの大事業は、国家的なプロジェクトであり、行基はその推進役として多くの人々をまとめ上げ、資金や労働力を集めました。
国の重役に付き、国民からの人気も高い方だったようですね。
焚き方、利用方法など
石室の中で薪を組み、松葉とともに一時間ほど焚き上げ、火が付いたままの状態で床に敷き詰める。その上に濡れむしろと濡れごもを敷き重ねて塩水をまき、入り口の扉を閉じて一時間ほど蒸らすと、入浴することができる。
その時の室内温度は、150度を超える温度となっている。
さすがにいつもサウナのように全裸で入るのは危険なため
- 長袖、長ズボンを着用
- 布ぞおりを履く
- 頭巾をかぶる
- 上記に加え、更に毛布で全身を覆う
これが基本の入浴スタイルとなり、1回5~6分、水分補給と休憩を繰り返すとされています。
これで身体の芯までポカポカです。
魅力に溢れる古代サウナから風呂
160℃のサウナ、是非体験してみたいと感じました。
また所在地の香川県には美味しいもの(うどん、骨付き鳥など)が沢山あり、旅サウナにはもってこいですね。
1300年前から愛されるから風呂ですが、実は一度休業しています。
その後、地元有志の方々に支えられ、なんとか営業しているものの未だ経営は厳しい状況にあるようです。もともと瀬戸内にはから風呂のような石風呂が多くありましたが、現在営業しているのはここだけとのこと。
必ず、一度訪れます。
歴史を感じる伝統的な石風呂、全国のサウナーの皆様も是非。
サウナの利用がすべての人にとって安全であるとは限りません。
健康状態や持病によってはリスクが伴う場合があります。
危険や不安を感じた方は医師に相談することをお勧めします。
からふろHP
https://karaburo0.webnode.jp/
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